野苺の実る頃


第1章




1-4

婚礼から一月ほど経った。

ビアンカは新しい城の生活に慣れてきたが、父親の城と違ってここでは執事と女中頭が全て仕切っているようで自分は殆どすることがなかった。

領地の見回りもそれぞれ決められた者が行っており、どうやら奥方は手芸ぐらいしかすることがないらしい。

戦場からの便りは全て執事宛のものだけで、ビアンカは夫は自分が結婚したことも忘れてしまったのではないかと思うようになった。

夏である。

野には花が咲き乱れ麦畑は黄金色に染まりつつあり、果樹園にはさくらんぼや李が熟した。

女達は洗濯物を積んだ驢馬を引いて湖の辺に向かい、おしゃべりしながら洗った衣類を木々の間に渡した紐に干した。

ビアンカも時には侍女に伴われ食料を詰めた籠を持って湖に行き、木陰で一日を過ごすこともあった。

冬の間に家畜が食べる干草を山のように積んだ荷馬車が畑の間を通り農家の納屋に向って行く。

刈り入れ間際の麦畑を見回る騎士が馬に乗って近くを通ることもあった。

果物を入れた大きな籠を頭の上に乗せた農婦達を見かけることもあった。

皆忙しそうにしているのに、私だけこんな所でぼんやりしている。

夫の従姉のバルバラは初めの頃こそ色々とビアンカの面倒を見ようとしてくれたが、いつも上の空で会話の弾まない娘に飽きたのか最近は近寄って来ない。

一人で花輪を作るのも竪琴を弾いたり刺繍をするのにも飽きて、草の上に敷いた毛布に仰向けに寝転んで雲ひとつない空を見ながら考える。

私にもできることはないのだろうか?

何か一生懸命やっていればこの長い待ち時間もこんなに退屈に感じないだろうに。

花から花へと忙しなく飛び回る蜜蜂の羽音に、ビアンカはあることを思いついて飛び起きた。



町から南西の方角に数マイル離れた丘の上に古い修道院が立っている。

建物の中には俗人は入ることができないが、修道士のうちには村人に混じって生活している者もいる。

慎ましい畑の作物や果樹園で取れた果物のジャム、蜂蜜等を市に売りに来ているのだ。

数世紀前には修道士の人数も多く活発に活動していた修道院だったのだが、最近は完全な自給自足は困難となり、こうして不足な物を買うための金を稼がなければならなくなってしまったのだ。

数日後の朝早く侍女と城の騎士二人に付き添われたビアンカは修道院の扉を叩いた。

扉の上の部分が音もなく開き黒い目が覗いた。

「モンタルディ家の者です」

騎士の声に続いてビアンカが言った。

「ダリオ様にお会いしたいのです」

暫くすると扉が開いて小柄な修道士が姿を現した。

頭巾のついた麻の衣を腰の辺りで縄で縛った質素な身なりをしているが、皺の多い日焼けした顔は健康そうで快活な青い瞳が輝いている。

「これは、これは、モンタルディの若奥様」

ビアンカは唯一女性の訪問者も入ることのできる面会室とされている小部屋に向おうとした修道士を押し止めた。

「宜しければ庭を散歩しながらお話したいのですが」

ダリオ僧は喜んで修道院の裏にある大切に育てている薬草庭園に娘を案内した。

何の為にビアンカが自分を訪ねてきたのか知ろうとはせず、貝殻で区切った花壇に植わる薬草を一つ一つ紹介していく。

ビアンカは興味深そうに修道士の説明に耳を傾けていたが、菩提樹の大木の陰にある井戸の所まで来ると口を開いた。

「ダリオ様、私に仕事を教えてください」

相手に口を挟む時間を与えずに付け加えた。

「何か役に立つことをしたいのです。薬草のことを習ったり、巣箱の世話をしたり、蜂蜜酒や果物飴の作り方を教えて欲しいのです。私の身分ではどこかに弟子入りする訳にもいかないし、第一女性ができる仕事は大してないし、ここだったら何かお手伝いもできるかなと思って……」

ダリオ僧は笑いながら頷いた。

「ここには沢山仕事があります。若奥様もご自分に合った仕事が見つかるでしょう。まあ、城主の奥方様をこき使う訳にもいきませんから、週にニ回ほど修道院では昼寝の時間になっている昼食から六時課までご一緒するということでどうでしょう? 」

「ありがとうございます! でも、ダリオ様はお昼寝なさらないのですか? 」

「私ぐらいの歳になると睡眠時間はほんのちょびっとで十分になるのですよ」

その日から祭日以外の火曜日と木曜日の昼過ぎになると薄い被り物を被った娘が修道院に通う姿が見られるようになった。

修道士は日を避けて修道院の外にある東屋や果樹園でビアンカに仕事を与えた。

修道院の仕事は楽しかった。

目立たない黒っぽい服を着た娘は、邪魔にならないように髪を三つ編みにして頭の周りに巻きつけ、袖を捲り上げている。

「これで良いかしら? 」

近くに住む村人達と共用しているパン焼き釜の横に置かれた大きな樽の口元に薄い布を被せ、藁で結わえながらビアンカが尋ねた。

「そうですね。空気が通ればいいのですよ。布はゴミや虫が入らない為ですから」

蜂蜜酒を造るには、鉄鍋の内側に木の板を貼り付けた特別な鍋で蜂蜜を湯に溶かして煮詰め、人肌に冷ましてから酵母と香辛料を加え樽に入れて発酵させる。

「来週来られる時には味が見れますよ」

ダリオ僧はビアンカに台所で働いている修道士を紹介した。

修道院で食べる黒パンを焼いていた男は額の汗を袖で拭って、城主の奥方に丁寧に挨拶をした。

本人の話では傭兵として数十年間も諸方の戦場で戦ったが、ある日突然信仰に目覚め修道士となってしまった変わり者とのことだった。

元軍人らしく逞しい体躯に赤ら顔の男で、剃髪された頭が些か不似合いだが、人を真っ直ぐ見つめる迷いのない瞳が印象的だ。

「アルデリコ殿は厳しい修業に励まれ、修道院で最も清貧・貞潔・従順の誓願を身を以って実践されている方ですよ」

ダリオ僧の言葉にアルデリコ僧は笑顔で頷きながら言った。

「若い頃からずっと自堕落な生活をしてきましたからね。規律正しい生活習慣を身に付けるのは大変でした。だがこんな私にも神は道を示してくださいました。今は大変穏やかな気持ちで毎日を過ごすことができるようになりました。料理は昔から何故か好きだったのですよ。野菜や果物を使った庶民的な料理に限られてしまいますが、若奥様に修道院で作っている料理のレシピを喜んで教えましょう」

「ここの修道院では皆菜食主義なのですね。私が行った女子修道院では貴族の娘の寄宿生と病人は肉料理を食べても良かったのです」

「そうですか。最近は修道士でも贅沢を好み肉を食べる者がいるそうですが」

ダリオ僧は感心しないという風に頭を振った。

「今日はここでパンの他に胡桃の菓子を作ろうと思っています。殻を割るのを手伝って頂けますか? 」

大きな麻の袋に入った木の実を台の上に置きながらアルデリコ僧はビアンカに尋ねた。



ある日、修道院から戻ったビアンカは城内が大層騒がしいことに驚いた。

「奥方様、丁度良かった! 今、修道院に迎えをやろうとしていたところでした」

執事が駆け寄ってきて興奮した声で言った。

「城主様のお戻りです! 凱旋でございます!! 」

見慣れない騎士が早口で傍から口を挟む。

「風呂と食事の用意を!! 」

慌しく使用人が駆け回る中、広間に入って来たバルバラがそのうちの一人を呼び止めて尋ねている。

「まあ、ジョジョが帰って来るの?! 」

ギョッとしたように立ち止まったビアンカに気付いて駆け寄って来た。

「こんな所でのろのろしていないで、早く着替えて化粧をしてきた方が良くなくって? 」

ビアンカは肩を竦めると相手を振り切るようにして服の裾を絡げて階段の方に駆け出した。

ジョジョって何よ!!

従姉だからって私のジョルジオ様をそんな風に呼ぶなんて!!!

侍女を呼びつけ着替えを手伝ってもらいながら憤慨したように頭を振った。

私なんて一度しか名前で呼んだことがないのに。

いいえ、もう一度あったわ。

初めて会ったあの夜……



塔に上がったビアンカは眩しそうに目を細め、赤く染まった空を背に砂埃を上げて近づいて来る騎馬隊を見つめていた。

まだこの距離では自分の夫を見分けることはできなかった。

でも、後少しで天使様の顔が見れるのだ。

武装した兵を乗せた馬は道に沿って優雅なカーブを描き、町の門を越え城へと続く道を駆け上がってくる。

先頭に翻る旗にはモンタルディ家の紋章である赤地に白い塔が刺繍されている。

跳ね橋が下げられ、留守を守っていた兵が整列して城主を待っていた。

やがて蹄の音を轟かせながら橋を渡った一行は中庭に馬を乗り入れた。

ビアンカは皆の後ろから端立ちになって覗いた。

近くで見ると旗には所々穴があき縁が綻びている。

戦士たちは馬から下りると兜を脱いで籠手を外し、埃と汗に塗れた顔を手の甲で拭った。

何ヶ月も過酷な戦場で過ごした男達の顔は髭で覆われ垢に汚れている。

元は銀色だったに違いない唐草模様の彫ってある兜を取った男を認めてビアンカは心の中で歓呼の叫びを上げた。

ああ、ジョルジオ様だ!!!

そんな姿でも旦那様は凛々しいと思ったその瞬間、黒馬から飛び降りた大柄な男が兜の面甲を跳ね上げ、鋭い眼差しで皆を睨みつけるように見回して怒鳴った。

「風呂だ!! 風呂だ!!! 」

折角感傷に浸っていたビアンカはその雰囲気を台無しにされて眉を潜めた。

何て野蛮な兵なのだろう!

皆に挨拶もせずに夫が疲れ切った様子で主塔の方に向うのを見て、ビアンカは人々の間をすり抜けた。

早く旦那様の着替えを出さなくちゃ。

階段を駆け上がり、つい数日前に仕上げた肌着を腕にかけると慌てて部屋を出た。


web拍手

© Library Cafe All right reserved 2012
戻る  進む

「野苺の実る頃」目次

←トップページに戻る
inserted by FC2 system