魔女
 

魔女



私は魔女と呼ばれている。

妖精と呼ぶ人もいる。

だが私を名前で呼ぶ人は、世界でただ一人あの男だけだ。

私のお師匠様。

偉大な力を持つ魔術師である彼は、自由自在に姿を変えることができる。

ある時は白髪の賢者に、またある時は森を駆ける鹿に、高く空を飛ぶ鷲に、そして稀に若く美しい若者の姿に。

私が初めて会った時、彼は老人の姿だった。

しかし、まだ幼かった私は、まるで森の主のような神々しい姿に圧倒され、一目で恋に落ちた。

どんなに強い魔法でも解くことの出来ぬ恋に。

私は魔術師の才能があると認められ、お師匠様に教わるようになった。

お師匠様は一度に一人しか弟子を取らない。



あれから何年も経った。

私は大人になったが、お師匠様に対する気持ちは以前のままだった。

人は私の容姿を褒める。

だがお師匠様が私を美しいと思わなければ、見た目の美しさなどは意味がないのだ。

この若い白樺のようなすらりとした姿も、太陽の光のような長い金髪も。

5月の澄んだ空のような青い目も、熟したさくらんぼのような唇も、小粒の真珠のような歯も、持っていても意味がない。

お師匠様から多くのことを学んだ。

私は数日後の天気を言い当てられるし、霧を呼んで姿を隠すことも出来る。

傷に手を当てて血を止めることも出来るし、短い間なら雌鹿に姿を変えられる。

水晶のように澄んだ湖の中に空気の城を建てることも出来るのだ。

なのにお師匠様は未だに私を子ども扱いする。

女が嫌いだという訳ではない。

その証拠にお師匠様には、純潔を捧げる代わりに魔術を教えて欲しいと弟子入りした美しい元恋人が何人もいる。

私も魔術を教わったお礼に純潔を捧げたいと言ったら、百年位して私に分別がついたらと断られた。

そんなものどうやったらつくのだろう?

いくら魔法が使えても後百年も生きられる筈ないし、もし生きられたとしてもしわくちゃのお婆さんだ。

「おまえの人間臭さはおまえの魅力だが、それを消さぬと、魔術師としての腕は上がらぬ」

お師匠様は訳の分からぬことを言う。

私は人間だもの。

人間臭くて当たり前じゃない。

最近、私はお師匠様に捨てられてしまうことを恐れている。

もうおまえは十分魔術を覚えた。

そろそろ次の弟子を取る頃だ。

そう言われるのが恐ろしい。

望みのない恋は苦しい。

この気持ちはいつか消えるのだろうか?

私が死んだら消えるのだろうか?



お師匠様の元恋人の一人が私に会いに来た。

結婚して遠くの国に行くそうだ。

お幸せにと言った私をしげしげと見て、お師匠様が好きなのと聞いた。

彼を自分だけのものにしたい?

ずっと自分の許に繋ぎ止めたい?

はいと答えた私にその人はある方法を教えてくれた。

「私は上手く行かなかったけど、貴方なら出来るかも知れない」

愛と憎しみは背中合わせとはよく言ったものだ。

お師匠様が憎らしい。

私をこんな気持ちにさせて。

お師匠様さえいなかったら、こんなに苦しい思いをしなくて済むのに。



私はお師匠様を探しに森の中へ入って行った。

夏なのに森の中は暗く鬱蒼としている。

森の中は様々な音がする。

風に揺れる葉や枝の音。

露が地面に落ちる音。

小鳥の囀り。

動物の足音。

だが森の中心に近づくにつれ、段々と音が消えていった。

まるでビロードの絨毯の上を歩いているようだ。

自分の鼓動と呼吸の音だけが、やけに大きく響き渡る。

森の中心の大木の下にお師匠様は座っていた。

珍しく若者の姿で。



何と美しいのだろう。

私は歩みを止めて、木漏れ日が降り注ぐその姿をうっとりと見つめる。

黒檀のような髪が肩に流れ、日に焼けた端整な顔には物静かな表情を浮かべている。

均整の取れた体は逞しく生気に溢れている。

目を瞑っているが、私がここにいるのに気付いているのだろう。

お師匠様はとても鋭い感覚的能力を持っているから。

もしかしたら何の為に私がここに来たのか分かっているのかも知れない。

「お師匠様」

彼は目を開けて私を見る。

黒い黒い瞳。

まるで月も星もない夜空のよう。

あるいは日の光も届かない沼底のようだ。

吸い込まれてしまう。

その時黒い水面に波紋が広がり、お師匠様は微笑んだ。



お師匠様は私の望みを黙って聞いてくれた。

「それがお前の望みか」

「はい、これが私の望みです」

お師匠様に教わる一番難しい魔術。

これができたら卒業だなと笑ったお師匠様を睨みつける。

私の気持ちなんてさっぱり分かっていないのね。

3日3晩殆ど飲まず食わずで呪文を覚えた。

流石に3日目になると自分の思うように体が動かせなくなる。

意識も朦朧としてきて、これが真か夢の出来事か分からなくなる。

そしてやっと全ての準備が整った。



お師匠様の正面に座り、意識を集中する。

順番に呪文を唱える。

森の力を引き出すのだ。

私は手にした小枝を使い、地面に模様を描いていく。

渦巻きのトリスケル。

世界の全てを表す神聖な記号だ。

世界を司る神々も、3つの要素も、時も、自然も、人間の社会も全てがここに含まれる。

そして、私は最後の呪文を唱えた。

…………………………………………………

…………



静かだった森に風が吹き荒れる。

私は顔にかかった髪を掃い、お師匠様を見つめた。

3日間、眠らずに断食したとは思えない美しい姿。

風に髪を靡かせ、背を真っ直ぐに座っている。

穏やかな顔。

もうすぐ全て私のものになる。

私だけのものに……

力強い目が私を見つめる。

その時、お師匠様が立ち上がり、その姿を見上げた私は恐怖に顔を引き攣らせた。



お師匠様に駆け寄り、その体に手をかける。

どうやったら止められるの?

この魔術を解く方法を私は教わっていなかった。

食い止めようと手を当てた場所が次々と固い木の皮に覆われていくのを、私は為す術もなく見ていた。

唇が震え涙が溢れる。

早く止めなくては。

だが、泣いてこの魔術を解く方法を尋ねても、お師匠様は答えてくれない。

逞しい腕が私を引き寄せた。

大きな温かい手が私の顔を包み込む。

私をじっとみつめる黒い綺麗な瞳。

そこには、ずっと私が求めていたものがあった。



「どうして……?!」

お師匠様は私の唇に指を当てて黙らせると、そっと口付けた。

「忘れるな。俺が自分でこうなることを望んだんだ」

欲望を秘めたお師匠様の顔が、涙で霞んだ。

愛しい頭を引き寄せて、唇を合わせる。

何度も何度も。

命尽きるまで。

やがて、自分の唇の下に感じていた温かく柔らかな感触が、冷たく硬いものと変わったとき、私は叫び声を上げ地面に崩れ落ちた。

…………………………………………………

…………



朝、私は湖の底の城を出ると森に行く。

愛しい人が閉じ込められている木の前に立つと、挨拶の言葉を呟く。

木の幹は硬くざらざらとして冷たい。

この中にいるお師匠様に少しでも私の体温を届けたくて、私は幹に腕を回す。

「貴方が好き」

そっと囁いてお師匠様の顔があった辺りに唇を押し付ける。

彼が私を愛しながらも、何故ずっとその心を隠し、このようになることを選んだのか分からない。

でも、彼は私だけのものになった。

今日も私は彼が住処としていた洞窟に通う。

その洞窟はとても大きく聖堂のようになっていて、古い魔術の書物が岩の棚に沢山並んでいるのだ。

もしかしたらこの中にあの魔法を解く鍵があるのかも知れない。

いつか、それが見つかったら、私はいったいどうするのだろうか?


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