天使の歌声

1


柔らかい秋の日の光を浴びて、馬車は細い田舎道を走っていた。


馬車の前後は馬に乗った警護の兵に守られている。

「ほらアジリース、御覧なさい。綺麗な空だこと」

中年の婦人が隣に座っている若い娘に話しかけた。

「そうね、叔母上」

娘は窓からちらと外を眺めてそう答えたが、上の空の様子だ。

二人とも優雅に着飾り、扇子を手にしている。

今夜は公爵様のお屋敷で音楽会が催されるのだ。

王宮にも招かれ、外国の宮廷でも何度も上演したと言われる有名な歌劇団が呼ばれていた。

やがて馬車は速度を緩め、薄暗い林の道に逸れた。

ここは既に公爵様の領地内である。

「もうすっかり秋ね」

黄色や赤に染まった木々を見ながら叔母のアルメラが呟いた。

アジリースは黙って物思いに耽っている。

アルメラはその様子を眺めながら思った。

アジリースはとても美しい娘だ。

今日はその美貌が、複雑な形に結い上げた見事な金髪と金銀の刺繍を施した空色の衣装のお陰で、更に際立っている。

その衣装は袖に細かい切れ込みを多く入れ、内側から濃い青と桃色の布を覗かせた凝った作りのものだ。

露になったほっそりとした首元と美しい肩には、温かい純白のケープが巻かれている。

アジリースは容姿が整っているだけではなく、賢く貞潔な娘だ。

とても明るい性格で、傍にいるだけで自分まで若返ったような気持ちになる。

少しばかり気が強いのが欠点かもしれないが、よい結婚相手に巡り合えば徐々に改善されるだろう。

馬車の揺れにもビクともせず背筋を綺麗に伸ばして座っている娘を見て、アルメラは満足そうに微笑んだ。

子供のいないアルメラは、姪のアジリースのことを娘のように可愛がっている。



 若く美しい金持ちの跡取り娘を世間は放っておかなかった。

アジリースの父、ゲルカラン伯爵の許には山のような縁談が舞い込んできたが、伯爵と娘の両方を満足させる相手は中々現れなかった。

1ヶ月程前に伯爵が王の遠い縁続きのM公爵の次男の申し込みを断った時、アルメラは大層がっかりした。

これ以上待っても無駄だ、自分のように嫁き遅れてしまうとアルメラは、口を酸っぱくして姪に早く結婚相手を決めるように勧めた。

「だけど叔母上、全然知らない人と結婚できませんわ。一生添い遂げる相手ですもの。後で後悔しても取り返しがつかないじゃないですか」

「伯爵様は甘すぎるのです。育ちの良い娘は親の決めた相手と黙って結婚するものです」

「でも父上だって、私を不幸にされたい訳じゃないでしょう?」

アルメラは感心しないという風に頭を振ったが、諦めて口を閉ざした。

そのようなことがあってから暫くして、今度は伯爵の従兄の長男との話があった。

知らない人ではない。

子供の頃、数回会って一緒に遊んだ記憶もある。

だが12年も昔のことだ。

金髪の巻き毛だった少年も一人前の男になっている筈だ。

父親はその話に大層乗り気だった。

だが、婚約する前に一度会ってみたいと、アジリースは伯爵に頼んだ。

そして今夜、公爵様の音楽会にその男、次期侯爵のジュスト=ヴァレイも招かれていたのである。



 馬車は鉄の門を通り抜け、ガラガラと音を立てて砂利道を走っていく。

「まあ、立派なお屋敷ですこと」

林を抜けると、目の前に美しく手入れされた広大な庭が広がった。

公爵邸はどっしりとした構えの大きな建物だった。

3階建てで屋根は青みがかった黒いスレート板で葺かれている。

煙突からは白い煙が細く流れ出ている。

沢山ある窓は大きく、透明なガラスがはめ込んである。

アジリースは過去にこの屋敷を一度だけ訪れたことがあった。

だが、1年前のその日は何か失敗をしないかと、それだけが気がかりで周りをゆっくりと見ている余裕などなかった。

召使がアルメラとアジリースが馬車を降りるのを手伝う。

あれから色々なことが変わった。

アジリースは叔母に付き添われ社交界に姿を現すようになり、初対面の人と話すのにも慣れてきた。

大きな菩提樹に囲われた屋敷の前広場に降り立ったアジリースは、背筋をしゃんと伸ばし、アルメラの腕を取るとゆっくりと門に向かった。

階段を上がり、玄関に立っている召使に招待状を渡すと、扇を口元に当て辺りをそっと窺った。

左右に広い石の階段が優美な線を描いて伸びている。

少しばかり早く着き過ぎたかも知れない。

「どうぞ、こちらへ」

二人はケープを召使に預けると、別の召使の後に続いた。

広間には既に10人程の客がおり、召使がよく通る声でアジリースとその叔母の名前を告げると、皆が扉の方を振り向いた。

濃い緑の服に身を包み、細い口髭を蓄えた男が群れから離れ、二人に近寄って来た。

まだ若い男だ。

細身ながら鍛えられた体に軍人らしいぴったりとした胴着を纏っている。

その男は二人の前で立ち止まると、貴族らしい指の長い綺麗な手を胸に当て、まずアルメラに挨拶をした。

アルメラも丁寧に礼を返す。

次に自分の方に向いた男に、アジリースは足を屈め頭を深く下げてお辞儀をする。

「アジリース嬢は見かける度に美しくなられるようだ」

公爵の感嘆するような眼差しに、アジリースは頬を染めて頭を下げた。

「妻と妹の所へご案内しよう」

公爵の後に続きながら、アジリースは広間に集まっている人々の方を見た。

あの方はまだ着いておられないようだ。

でも会ったら直ぐに分かるのだろうか?



 客間に通された二人は主の妻と妹に挨拶をした。

アジリースは3年間入れられていた修道院で、公爵の妻となったイサベラと交友があった。

修道院にいた頃は特に親しかった訳ではなかったが、公爵夫人となっても見下したりせずに親切にしてくれるイサベラに好意を感じていた。

「今夜の貴方の衣装はとても素晴らしいわ」

「有難うございます。公爵夫人様の衣装もとてもお似合いですわ」

「そう? もう少し派手でも良かったと思うのだけど、公爵様がこっちの方が似合うと仰ったので」

イサベラは金糸で刺繍を施した紫の衣装を身に纏っている。

あっさりとした衣装は背の高いイサベラに大層似合っていた。

対照的に栗色の髪は複雑に編まれ、大きな宝石の輝く櫛で留められている。

「とても仲が良くて羨ましいわ」

公爵の妹のマリナが溜息をついた。

マリナは結婚して数ヶ月しか経っていないのだが、既にその夫は家を留守にしがちなのだそうだ。

「あの人には結婚する前から愛人がいたのよ。もし知っていたら、絶対に結婚なんかしなかったのだけど」

「酷いわねえ。公爵様からもう一度ビシッと言ってもらえば」

「変わらないわよ。だから私も人生を楽しむことにしたの。今夜の歌劇団のテノール歌手、結構いい男よ」

「貴方、まさか」

「そう、もう確認済みよ」

イサベラが大げさな声を出し、二人は笑い出した。

アルメラはショックを受けた顔をし、アジリースは目を丸くした。



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